FUKUCHI RICH GELATO — BRAND STORY

町の想いから始まった、
わたしたちの物語。

福智町の特産品開発委員会から始まり、幾度もの転機と、思いがけない出会いを経て、
今へと受け継がれてきたジェラート工房。その歩みを9つの章でたどります。

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Chapter 01

特産品開発委員会、灯された小さな火

福智町の新たな特産品を、みんなで考える。そこから始まった小さな議論。

ジェラート工房FUKUCHIの物語は、福智町の新たな特産品を生み出したいという一つの思いから始まりました。きっかけは、町の行政職員を中心に立ち上がった特産品開発委員会です。地元で活躍する寿司職人、フランス料理人、ステーキハウスのシェフ、ケーキ職人、パン職人、そしてデザイナーなど、様々な分野のプロフェッショナルが一堂に会し、福智町の未来を見据えた熱い議論を重ねました。創業者も、この委員会に加わっていた一人でした。

新しい特産品として何が相応しいか。議論の中で注目されたのが「ジェラート」でした。年々高まるアイスクリーム市場での需要、若い世代を中心に支持される現代的でおしゃれなイメージ、そして何より、福智町で採れる様々な農産物を活かせる可能性。これらの要素が、委員会の心をつかみました。

こうして、小さな会議室で灯った一つの案が、やがて町の新しい特産品を生み出す挑戦へとつながっていきます。しかし、この時点では、誰がそれを実際に形にするのかは、まだ決まっていませんでした。

Chapter 02

町職員が仕込んだ、最初の4つの味

まだ会社もない中、町職員自身の手で仕上げられた、味とデザインの土台。

「ジェラート」という方向が決まったあと、まず動いたのは町の職員たちでした。会社としての体制もない中、約1年をかけて試作と試食を繰り返しながら、最初の4つのフレーバーを仕上げていきました。

同時に力を注いだのが、カップのデザインです。手に取った瞬間に目を引く、それまでのジェラートにはないデザインが生まれました。まだ商品としては荒削りな部分もありましたが、味とデザインの土台は、この時期にすでに出来上がっていたのです。

のちに取引数を大きく伸ばすことができたのも、このカップデザインの力によるところが大きかったのです。展示会に出展すると、まず足を止めてもらえるのはカップのデザインでした。そこから試食していただき、「これはいい」と言っていただく。取引はこの流れで広がっていきました。

味とデザインという土台ができあがったところで、この挑戦は次の段階に進みます。それを事業として育てていく、新しい担い手が必要になったのです。

Chapter 03

白羽の矢

デザイン業を営んでいた創業者に、福智町から届いた一つの依頼。

土台が整った頃、白羽の矢が立ったのが、当時デザイン業を営んでいた創業者でした。福智町から「この事業で会社を興してくれないか」と頼まれたのです。

製造業の経験も、法人経営の知識もないままの船出でした。それでも、このジェラートを世に広めたい。福智町の名前を全国へ、そして世界へ届けたい。町が活気づいてくれたら——。そんな思いに胸を躍らせ、創業者はこの話を受けることを決めます。2013年12月、一般社団法人福智ブランドファクトリーを設立しました。

会社としての一歩を踏み出したものの、その先に待っていたのは、まだ何も定まっていない手探りの日々でした。

Chapter 04

イベントの日々、そして届かない実感

母の手で磨かれた味と、二つの信念。それでも見えなかった、事業としての実感。

会社を設立したものの、実際に手を動かしてジェラートを作る人が必要でした。創業者が声をかけたのは、調理師の免許を持ち、10年以上の調理経験がある自分の母でした。ただ、調理や衛生管理の知識こそあったものの、ジェラート製造については全くの素人。それでも母は、町職員が仕込んだ最初の4つの味を引き継ぎ、磨きながら、新しいフレーバーを少しずつ増やしていきました。右も左も分からないまま走り出した創業者にとって、母の存在は大きな支えでした。

この頃から、「福智町産の果物を積極的に使用すること」「香料や着色料を一切使用しないこと」という2つの信念を掲げるようになりました。この2点は、いまも変わらないブランドポリシーです。

設立当初の活動は、各種イベントへの出店が中心でした。町の特産品として、まず知ってもらうこと。PR活動が主な目的です。試食すれば喜んでもらえる。反応は決して悪くありませんでした。

しかし、それが安定した事業として続いていく実感には、なかなか結びつきませんでした。このままでは立ち行かない。そう感じ始めていたころ、一つの決断が状況を大きく変えることになります。

Chapter 05

展示会という転機

全国発送への方針転換。そこから聞かれ始めた、一つの疑問。

転機となったのは、展示会への出展でした。それまでのイベント出店とは違い、そこには本格的な商談の機会がありました。卸値の設定方法や、帳合い先との関係構築など、流通の仕組みを一から学びました。

そして、全国に発送するという方針へ切り替えたことが、大きな分岐点になりました。狭い地域でのPRから、全国の取引先へ商品を届ける事業へ。これを機に、販路は一気に拡大していきました。

展示会で大きな力になったのは、やはりあのカップデザインでした。最初の4フレーバーとともに町職員が仕込んだ土台が、ここで大きく花開いたのです。

販路が広がるにつれ、展示会でよく尋ねられる質問がありました。「なぜ一般社団なのか」「第三セクターなのか」。この質問が、次の大きな決断につながっていきます。

Chapter 06

一般社団法人から、株式会社へ

楽天出店という壁にぶつかり、法人の形そのものを見直す決断。

展示会に出展するたび、法人形態について尋ねられることが増えていきました。一般社団法人という形は、事業の実態をうまく説明できていなかったのです。

決定的だったのは、楽天市場への出店を検討したときでした。一般社団法人ではオンラインストアを開設できないことが分かったのです。

一般社団法人よりも、株式会社の形の方が、目指すビジョンのためになる。そう考え、2018年、株式会社化を決断しました。

新しい体制のもと、事業はさらに勢いを増していきます。そして、やがて年間10万個という大きな数字に手が届くところまで成長していくのです。

Chapter 07

年間10万個、そして立ちはだかった壁

全国・世界へ届けたピークの先で、決めきれなかった一つの選択。

一時期は、年間10万個のジェラートを全国、そして海外にまで発送するほどの規模になりました。福智町の小さな工房から始まった挑戦が、確かな成果を上げていた時期です。

しかし、その成長の途中で、大きな壁にぶつかります。生産量の限界でした。展示会で大きな商談の話になっても、数万個単位の注文には対応できない。せっかくの機会を、つかめない状況が続きました。

設備投資をして生産数を増やすのか、それとも手作りにこだわり、数量限定でやっていくのか。この選択に、答えを出しきれませんでした。

結局、どちらつかずの中途半端な経営が続き、売上も伸び悩んでいきます。この状況は、やがてもっと大きな課題として、事業の前に立ちはだかることになります。

Chapter 08

忍び寄る限界、そして託す相手を探した1年

制度の変化が突きつけた現実。そして、1年をかけて探し続けた道。

2024年末、販路の柱の一つだったふるさと納税の制度が厳しくなっていきました。生産量の壁を越えられないまま、このままでは事業を続けていけない。そう向き合うことになりました。もっと大きな資本の力が必要だと痛感したのです。

2025年、1年間をかけて、知人のつてなどを頼りに、事業を引き継いでくれる会社を探しました。複数の会社とやり取りを重ねましたが、話がまとまることはなく、調整は難航しました。

2026年に入り、事業の終了を決断します。取引先には、2026年3月末で終了するという報告を行いました。

小さな町の小さな工房から始まった物語は、ここで終わるかに見えました。しかし、思いがけないところから、一つの連絡が届きます。

Chapter 09

奇しくもつながった、新しい一歩

始まりの場所と、その先の担い手が、思いがけない形でつながった。

事業終了を報告した直後、「この事業を引き継ぎたい」という法人が現れました。それが、現在の運営元である社会福祉法人青空福祉会です。

驚いたのは、そのご縁のつながり方でした。かつて、最初の4つのフレーバーとカップデザインを仕込んだのは、福智町の職員たちでした。社会福祉法人青空福祉会は、奇しくもその町職員とのつながりから、この話に行き着いたのです。始まりの場所と、その先の担い手が、思いがけない形でつながりました。

危機一髪、ぎりぎりのところで、事業は途切れることなく引き継がれることになりました。2026年4月、ふくち☆リッチジェラートは、社会福祉法人青空福祉会のもとで新しい一歩を踏み出しています。

特産品開発委員会での小さな議論から、町職員が仕込んだ最初の4つの味、そして幾度もの転機を経て、いまここまで続いてきました。変わらないのは、福智町の魅力をジェラートに込め、自然でやさしい味わいを届けたいという想いです。これからも、この土地で育まれた物語を、一人でも多くの方に味わっていただけるよう、丁寧にお届けしてまいります。